今日は前回に続いて「マットをおりてシヴァーナンダヨーガ」
寺崎由美子先生、シータマの講座を受けながら、感じたことや学んだことなどを
アウトプットしていこうと思います。
ヨーガとは正しい認識を得るためのもの
前回はヨーガにおいて、体操(アーサナ)は、ほんの入り口(窓口)のようなものに過ぎないというお話をしましたが・・・
今回はシヴァーナンダ先生の著書から
ヨーガとは・・・という冒頭の部分の解説をして頂きました。
本来英語のものなので、シータマが分かりやすく翻訳をしてくれました(^^♪
ヨーガとは体操をすること?
瞑想をすること?
いいえ、違います。
ヨーガとは・・・神と共に生きること、神の内に生きること。
それらは無限の幸せをもたらします。
ヨーガとは完全な生き方(人生)です。
ヨーガは道を示してくれます。
ヨーガは、あなたと神と繋げます。
ヨーガはあなたを不滅にします。
ここまで読んだだけだと・・・
神?不滅?永遠の命?
と疑問が沸いてきますよね。
私たちのなかに生まれてくる疑問についても
分かりやすく説いてくださいます。
「私とはこの肉体です」
という認識においては、不滅ということはあり得ません。
肉体には必ず死が訪れ、私たちはそれを決して逃れることはできません。
それでは不滅とは?
「私」=「肉体」
という誤った認識から、私を自由にすることです。
「私」という肉体、「母」「妻」「女性」「ケーキ屋さん」など自身で付加価値を付けた存在、
「自分とは制限のあるもの」の認識からの自由になることを意味します。
「自分自身は滅する」という
間違った理解から、自分自身の認識を解放すること。
決して滅するものではないのが自分だと理解を転換させることがヨーガであると説いています。
ヨーガとは
「私は肉体でも感覚器官でもない」
「生まれもなければ、死ぬこともない」
そこにはただ
「輝く意識があるだけ」
その輝く意識そのものを神と言っています。
私たちの一般的にイメージしている
何か対象物へ向けての「神」というものとは違ったものをいいます。
神は自分自身のなかにある、不変の意識そのものだからです。
ヨーガの実践により私たちの意識は
悪しきものから、善きものへ、善きものから神のもとへと変容します。
今の私たち自身の気づきにより、自ずと明らかになるまでの道筋がヨーガの道だと言っています。
ヨーガとは、先人たちがすべての人類(万人)のために伝えてきた科学であり、実践的なシステムです。
ヨーガとは行いを放棄することではありません
また、とても大切なことも記されています。
ヨーガとは、人生に背を向けることではありません。
スピリチュアリズム(Spiritualism)はエスケーピィズム(escapism、現実逃避)ではありません。
ヨーガとは、人生(生き方)を神聖なものにするためのものです。
出家をすること、家庭を捨てること
日本を離れること、あそこへ行けば学べる
という今ある場所を離れることではありません。
目の前のことと向き合うことであり
生活から離れることではありません。
暮らしのなかで、一生懸命に考え、良い選択をし、
どう生きるか?が大切な行為です。
決して行いの放棄ではありません。
身体を肉体を持っている限り、その肉体を労り
正しい精神で、その行為を有効に行うことです。
今ある状況のなかでベストを尽くすこと。
家から逃げ出すことではなく、新しい理解によって新しい理解を得て
社会や家庭において心の姿勢を積み上げていく
心のプロセスがヨーガといいます。
アシュラムへ行くことがヨーガではありません。
まとめ
近年ではとても身近に、スピリチュアルな言葉や行為があふれるようになったと感じています。
私がヨーガを実践し始めたころには、ヨーガという言葉だけで何かの宗教と間違えられたり
精神世界に興味のない人には、敬遠をされたりすることもありました。
けれど、この2.3年で大きく変わり、とても身近な場所からでもスピリチュアリティの話題を耳にすることも増え
それらのワークやコンテンツを伝える人もとても増えたように感じます。
そのなかには、どこかふんわりと雲の上のような掴みどころなく、イメージがぼんやりとしたものも少なくないように思います。
そしてまた、どこかエスケーピズム(escapism、現実逃避)が強くいような感じることがあります。
そんな中でも、私のなかで生き続けているヨーガの知恵は、今日の内容にもありましたが
古くから先人たちから受け継がれてきたより良く、より幸せに生きるための教えです。
それは、肉体と精神の探求から得られる「科学」だということです。
しっかりと、ひとつひとつに理由と効果が結び付けられ、それらが、誰でも学び実践ができるように
順序だて道筋を明らかにしてくれています。
間違った認識から、正しい認識へ・・・
意識の再形成をするためには、一度今ある自己認識を壊し
新たな正しい認識を理解しなくてはなりません。
自分とは何か?
この肉体ではなく、もちろん肩書きでもありません。
肉体は当然のことながらに、いつかは滅びなくなります。
けれど、なくならない、滅することのないものが、私たちのなかには存在しています。
その存在に気が付くことこそ
滅することのない、永遠の命の意味となります。
その健全な精神、心を持つために、健全な肉体を持つ必要があり
体操から生活習慣まであらゆる細かさで、ヨーガの聖典には記されています。
万人が幸福に生きるために、よりよく幸せに生きるために・・・
ここまで科学的に、実践的にスピリチュアリティを伝えていることは
改めてやっぱり、ヨーガはすごいな~と感じました。
そして、実は私事ではありますが・・・
子育てや仕事、家庭で忙しく過ごしている中で、インドへ行きたいのに行かれないこと、受けたいインドでの講座に行くことができない自分自身が
理解はしていてもどこかで、自分自身の生活を放棄し、家庭を逃げ出し、思う存分に学びたい!と心のどこかで感じてモヤモヤと過ごしていました。
特に2月は、なんだかそんな気持ちの揺らぎが大きく、そんな自分自身のなかにある気持ちを理解しながらも、見過ごしてきました。
そんな折に、まさに、この言葉・・・
シータマの優しい声が胸にグサグサと突き刺さり
涙が溢れました。
ヨーガとは、社会や家庭、今置かれている立場を放棄することではありません。
どこかへ行くこと、インドへ行くことがヨーガではないよ。
暮らしの中で、より良いと感じる選択を一生懸命にして
そのプロセスを積み重ねていくことがヨーガなんだよ。
そんなシヴァーナンダ先生の言葉と、それを優しく伝えてくれたシータマに
心から感謝の想いでした。
分かっていたはずなのに、まだまだ私の心も成長の途中だよな(笑)
でも、こうして、自分で何か必要なことがあって、受け取れる心の準備をしていれば
必要なメッセージや教えは、いつだって与えてもらえるんだよね。
ヨーガとは、いつでも私たちの暮らしの中にあり、実践を続けていくものです。
これからもまた時々シェアさせて頂きますね。
読んでくださりありがとうございました(^^♪
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