やりたい時が、学ぶ時

ホームスクーリングのこと

わが家の9歳になる娘が去年からフラダンスをはじめました。

私が通っているお教室に一緒についてきたり、見よう見まねで一緒に踊ってみたりしているうちに

ある日突然に「私もやりたい」と私に伝えてくれました。

それから間もなく一年が経ち、彼女は週に一度のレッスンも休まずに、一生懸命に練習をしてきました。

`ステージで踊る‘という目標も、先月に達成した彼女は、またひと回り大きく成長したようにも感じました。

そんな彼女の一年間の様子を間近で見ていた私は、好きなことを学ぶ楽しさと、達成することの喜びを彼女自身が味わっていることが、とても嬉しく印象的でもありました。

そして私自身もまた改めて`学ぶ‘ということ本来の純粋な楽しさや喜びを再確認させてもらうきっかけとなりました。

子育てとは、子を育てているようで、親も一緒に育ててもらっているのだな~

やりたい時が、学ぶ時

基本的にわが家では、与えすぎることをしないように心がけています。

それは、物でも知識でも同じように考えています。

「~がほしい」「~したい」と本人たち自身の中から、やりたい気持ちが自主的に沸いてきたときに、周りの大人たちが手や知識を差し述べるようにしています。

それタイミングが訪れるまでは、周りの大人が一方的に必要以上に物を与えたり、知識を教えたりすることはなく、彼らの求める気持ちがやってくるまで、ゆっくりじっくりと待つことを大切にしています。

彼らは自分たちの暮らしや遊びの中からいつでも楽しいこと見つけ

学ぶ楽しさを感じています。

学ぶことは楽しいこと

子供は遊びの天才です。

彼らにとって、本来遊びと学びとの境界線は存在していません。

子供たちは日々の暮らしや遊びの中で、自然に「もっと知りたい」「これをやってみたい」という感情が沸きあがってきます。

そして、自分たちの知りたいことを学ぶとことの楽しさ、学んだことで自分のできることが更に広がっていくことの喜び、そのシンプルなプロセスを何度も繰り返すことで大きく成長していきます。

本来、学ぶことは楽しいこと。

与えすぎてしまうことで、本来の楽しさや喜びを、大人たちは摘み取らないようにしたいなぁと感じています。

いつまでも学ぶことの楽しさや喜びを忘れないでほしいな~

と母は願っています☆彡

知識と知恵は違うもの

どんなに多くの知識を頭にため込んでも、それらを、生きていくなかで使うことが出来なければ、それは何の意味もありません。

どんなに便利な道具をたくさん持っていても、それを使えなかったら、なんの役にも立ちませんよね。

`知識‘とは、その情報をただ知っている状態のこと、`知恵‘とは、その情報を活かす方法を知っていることを意味しています。

知識と体験は、ともに携わって知恵となり、私たちの人生の糧となります。

知りたいを学ぶという行為は、必要な情報を得る行為であり、その情報は行動に生かされ、体験を通して、知恵となるのです。

子供たちはこのプロセスを自然に日々の暮らしや遊びのなかで実践しているように感じます。

自分に必要な道具はなにかな~、その道具はどこで得られるのかな~、そして、手に入れた道具をどのように使うのかな~

結果、道具を使って自分自身で作ったものは、本当の宝物になるのではないかと、私は思っています。

子供たちには豊かな知恵をたくさんもった人になってもらいたいな~

まとめ

知識も食べ物も同じようなもので、与えすぎてしまうと、求める気持ちが希薄になってしまうように思います。

お腹がいっぱいの状態だと、更に何かを食べたいと思いませんよね。

知識もおんなじで、必要以上に与えすぎないことで、求める気持ちを大切にしてあげられるのかなぁと、そんな風に感じています。

暮らしの中で、適度に必要なものやことを求められる環境を大切にしていけたらと思います。

そして、子供のころから`学ぶことの楽しさ‘や`喜び‘を感じ、その思いを大切に育んでいってほしいと思います。

親とはいつでも、その字のごとく、木の上に立って見ているように、子供の成長の姿を見守っていられる存在でいでありたいですね。

可愛さあまって、手や口を出したくなりますが

だまってじっと見守ることが、とっても大切なんだよね~

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