わが家では、ホームスクーリングをはじめて3年が経ちました。
現在9歳、6歳、3歳の子供たちがいますが、基本的に全員が家を中心に過ごしています。
長女も幼稚園などへは行くことなく現在に至りますので、生まれてから9年間ほぼずっとホームエデュケーションを続けてきました。
そんな長女は、そのまま小学校へは行かずに、ホームスクーリングをメインに、時々フリースクールも併用しながら元気に過ごしています。
公立の学校との付き合い方
わが家の娘は小学校へ上がるころ、もうすでに自分の意思ではっきりと「行きたくない」という気持ちを持っていたことと
私自身もホームスクーリングのイメージがとても明確にできていたので、あまり動揺することなく
スムーズに受け入れられ、そちらへ移行していくことができました。
とはいえ、「小学校」という初めての組織との関わり合いに、若干戸惑いながらも、今ではすっかりと程よい距離感をもって付き合えるようになっていきました。
正直に伝える
はじめの頃には、結構頻繁に、学校の先生や教育委員会の方が家にやってくることもありました。
おそらく「この子はどうして学校へ来ないのか?」「ご両親はどうしてるのか?」
など、学校側としてもきちんと把握していないといけないのだと、今になれば良く分かることなのですが
やはり初めの頃は、「お母さんはどうして子供を学校へ連れて来ないのですか?」と
直接的ではなくとも、どこか、そんな風に攻められているような、そんな気持ちにもなったのも正直な思いでした。
何度か学校へ足を運んだり、担任の先生や、時に校長先生ともお話しする機会もあるなかで、
私は一貫して、今の素直な「子供の気持ち」と「親の気持ち」を冷静に伝え続けてきました。
今は娘はどうしても学校へは行きたくないこと
家で過ごしていることの方が心地が良いと感じていること
親である私たちは、そんな彼女の気持ちを大切にしてあげたいこと
そして、もしも彼女が望んだ時には、学校へ行かせてあげたい
このことを、正直に話し続けてきました。
今では、娘や私たちの気持ちも大分伝えることができたのか
「元気ですか~?」「時々小学校にも遊びに来てね~」と、時々連絡をくれるくらいの程よい距離感となってきました。
理由はどうでも、不登校児
小学校は義務教育にあたるため、基本的には公立の小学校へは籍を置くこととなります。
わが家の娘も、近所の小学校へ籍はあり、不登校児という扱いになっているようです。
不登校児ってなんだか響きがあまり好きではないな~。
日本中、世界中に、学校へは行っていない子供たちがたくさんいるけれど、何か素敵な呼び名があったらいいのにな~っていつも思います。
どこか、その名前の時点で、社会のひとつの枠の中から、すでに外れている、外されている、そんな言葉に感じてしまうから・・・
大人が子供たちに、そのようなレッテルをつけてしまうのは、とても悲しいことだなって思います。
色々な思いで学校へ行かない子、行けない子、どの子供たちも、それぞれにの場所で、自分のカラーで輝いていかれる社会になってほしいと願っています。
そんなわが家の子供たちは、み~んな不登校児(笑)(^^♪
でも、明るく元気にこう答えます!
「わが家は積極的不登校児です♡」
自分らしくいられる居場所で輝けるなら、不登校児だっていいじゃない♡
山のように積もっていく教科書たち
年度初めと学期初めに、大量に届けられる教科書たち。
その大半は開かれることなく、申し訳なさそうに・・・(笑)本棚の片隅に並んでいます。
とにかく、教科書多すぎないかい?と疑問に思うのは私だけなの??
とまぁ、教科書の多さは今日はさておき・・・
さぁ、ここからが今日の本題なんです。
いわゆる学校へ行っていない子供たち、勉強はどうしてるの?
そんな質問をよく受けることがあるのですが
答えは・・・・
まったく、していません(笑)
学びたい時が、学ぶ時
ホームスクーリングのわが家では、基本的に勉強をさせたり、勉強の時間を作ったりすることは、まずありません。
「勉強しなさい」と言ったことは、生まれて一度もないかも知れません(笑)(;’∀’)
もちろん、他のホームスクーリングをされている友達や知り合いの家庭などでは、しっかりと勉強の時間を作ったり、家庭教師をつけていたりする家庭もあります。
ちなみに、わが家は一切していません(^^♪
けれど、娘はきちんと文字も書けるし、漢字もものすごくよく知っているし、足し算引き算なら、1000単位くらいまでサラリとこなします。
どうして、それらができるようになったのか、それは勉強をしたのではなく、好きなことをしたい!ときに自然に学んでいった過程の結果でした。
本が大好きな彼女は、朝から晩まで何冊もの本を読んでいることがあります。
そんな本が大好きな彼女は自然に文字や漢字を学んでいきました。
お店のお手伝いが大好きな彼女は、お金の計算をしながら(笑)算数を学んでいました(^^♪
今は大好きなフラダンスを学び、いつかハワイに行きたいと英語を学びたいと話してくれました。
子供たちをみていると、彼らは日々楽しみを見つけ、楽しみの中からたくさんのことを学んでいます。
「知識」というのは、ものごとについて知っている内容そのものであり
「知恵」というのは、知っていることを使って問題を解決する能力をいいます。
一方的に与えられた学びというのは、頭のなかに残らずにどんどん忘れ去られてしまいますよね。
「知識」というのは体験するとこで「知恵」に変わっていきます。
子供たちに必要な「学び」というものは、知識ではなく、知恵なのではないかと、私は思います。
だからこそ、大人は子供たちに体験させることを与えることができたら、それこそ、本当の教育なのかな~と思い、そうあって欲しいという願いでもあります。
フリースクールの校長先生の言葉
娘の参加しているフリースクールの校長先生は、たくさんの子供たちを見てきて
そこから巣立っていった子供たちもたくさん見てきました。
小学校時代に勉強をしてこないことに不安を感じるお母さんに対し、こんな言葉を言っていました。
子供たちは、必要になったときに、必要なものを求めます。
勉強が必要と感じたときには、自分から勉強をはじめます。
勉強を強制されなかった子供たちにとって、「学ぶこと」というのは
純粋に「楽しいこと」そう体感しているから。
だから勉強が嫌いにならないんですよ。
私は、なるほどな~としみじみ思いました。
「学ぶ」って、本来とっても楽しいことだもの。
知りたい!やりたい!その純粋な気持ちが原動力となって、広がっていく知識が、その人を支える知恵となる。
そもそも人生に役立たない知識なんて、持っていてもなんら意味すら持たないのではないでしょうか?
子供たちにはいつまでも学ぶことの楽しさを忘れないで、大きくなってほしいな~と
お母さんは心からそう思ったのでした(*‘∀‘)
型にはまらなくったって大丈夫!いつでも好きなこと、好きなだけやって生きてほしいな!
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